2014年4月19日土曜日

韓国の威信、地におちる-(2):マニュアル化もできない後進国的思考、基本無視の韓国社会

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朝鮮日報 記事入力 : 2014/04/18 11:08
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/18/2014041801308.html

旅客船沈没:タイタニック並みの救助率に世論沸騰
「100年前と同レベルとは」

 珍島沖で起きたセウォル号沈没事故で、乗船者の救助率は17日までに37.8%にとどまっている。
 1912年に北大西洋で沈没した豪華客船タイタニック号の事故では生存率が32%だった。
 このため、国民からは
 「(陸の近くに沈没した)セウォル号の救助率は(大西洋の真ん中で沈没した)100年前のタイタニック号の事故と同じ水準だ」
 「今の韓国でこんなことが起きるなんて信じられない」
といった怒りの声が上がっている。

 乗船者475人のうち、179人が脱出、救助されたセウォル号の救助率は、2224人中710人が救助されたタイタニック号事故の救助率を5ポイント上回っているだけだ。
 「無能な大韓民国はいまだに後進国だ
という嘆きと自嘲(じちょう)が聞かれる中、韓国を「キムチスタン」などと皮肉る表現も登場した。

 今回の惨事が典型的な
 「後進国的人災」だった状況が続々と明らかになり、インターネット上は「2時間にわたり沈みゆく船を眺めているだけで、子どもたちを失った国に希望はない」
といった嘆きの声であふれた。

 ソウル大のインターネットコミュニティーで、ある学生は
 「『事故共和国』だった1990年代に時計が逆戻りした。
 聖水大橋と三豊百貨店の崩壊、大邱地下鉄放火などを経験しても、人災を繰り返すわれわれに答えはない」
と憤った。
 会社員Lさん(28)は
 「韓国は惨事を経験しても、その場の収拾が精一杯で、何の教訓も得ない。
 経済的には少々成長したかもしれないが、社会システムは後進国レベルだ
と書き込んだ。

 事故当時、乗客に「船室で待機するように」と船内放送を行った後、乗組員とともに船を脱出したイ・ジュンソク船長(69)が17日午前、ぬれた紙幣を乾かしながら、「自分は乗組員だ。何も知らない」と語ったことが報じられると「あいつらは正気か」「自分の息子が乗っていてもああいう態度を取れたか」などと厳しい批判が集まった。

 あるネットユーザーは「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)では(日本が攻めてくる前に)王が土城を捨てて逃げ、6.25(朝鮮戦争)のときには指導部が漢江の橋を落として逃げ、今回は船長が乗客を捨てて逃げた」と書き込んだ。

 こうした中、タイタニック号の沈没事故で、船長、航海士、船舶設計者らが最後まで乗客の救助に当たり、船と最期を共にした事実も話題に上った。

 「これが1912年の英国と2014年の韓国の差だ」
 「為政者がいつも口にしていた『国格(国の品格)』が実際この程度だった」
といった皮肉が相次いだ。

 セウォル号に常備されていた救命ボート46艘(そう)のうち使われたのは1艘だけだった理由について「引き揚げてみなければ分からない」と説明した船会社、清海鎮海運に対しても
 「乗客の生死を決定づける救命ボートに異常がなかったかどうか、引き揚げてみなければ分からないなんて、船会社が言うせりふか」「それさえも確認せずに出航したのではないか」
という非難が相次いだ。

 タイタニック号の事故では、乗組員は乗客の半分しか収容能力がなかったものの、
 救命ボート20艘を全て使い、救助に当たった。

 ネットユーザーは、事故直後に安全行政部(省に相当)、海洋警察、教育庁が被害規模や救助者数をめぐり混乱したことについても
 「三流政府の仕事はこんなものだ」
 「朝には『全員救助』というので安心していたら、現実は大惨事だ」
 「安全行政部は看板を下ろせ」
などといった書き込みが相次いだ。

 ソウル大社会学科の鄭根埴(チョン・グンシク)教授は
 「韓国人の『パルリパルリ』(急げ、急げ)という民族性のおかげで短期間に高度成長を成し遂げたが、その裏で短期で物事を完成させようとしたり、安易な方法を選んだりすることを当然と考える『テチュンテチュン』(適当に、だいたいの意)の傾向があった。
 セウォル号の惨事も船長と乗組員が原則通りに行動していれば、被害を最小化することができたはずだ」
と指摘した。

 鄭教授は
 「船長ら責任者数人を処罰するだけでなく、われわれ全体が『テチュンテチュン』の文化を深く反省すべきだ」
と呼び掛けた。


 「『テチュンテチュン』の文化を深く反省すべきだ」
とは過去の経験を教訓にして、対策をマニュアル化できない、思考の浅さの悲劇ともいえる。
 東日本大震災のときは韓国メデイアに「日本はマニュアル国家だ」と随分たたかれた。
 マクドナルドですら世界共通にマニュアル化させることで独特の文化を作っている。
 なぜ危機管理にマニュアルがあってはいけないのだろうかと疑問に思った。
 しかし、想定外とはいえ大きな事故が起こった後であっただけに反論できなかった。
 でも今回はマニュアル通りにやっていればほとんど助かったのではないだろうか。
 操舵していたのが誰であってもである。
 マニュアルは転覆後の危機管理に適応される。
 操舵手が誰であるかは問わない。
 非常時のマニュアルとそこに記載されている訓練は徹底されて行われていたのであろうか?。 


朝鮮日報 記事入力 : 2014/04/19 11:14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/19/2014041900510.html

【社説】基本を無視する韓国社会、繰り返される人災

 今回の事故で沈没した旅客船「セウォル号」を運航していた清海鎮海運は、1994年に日本で建造された旅客船を日本の海運会社から2012年に買い取り、セウォル号と名前を変えて、3-5階に客室を増築するなどの改造を行っていた。
 この改修により、乗船定員は840人から956人へと116人増え、また船の重さは6586トンから6825トンと巨大化した。
 どう考えても無理が伴う改造だった。

 事故当時、セウォル号は180台のトラックや乗用車と1157トンの貨物を積んでいた。
 50トン以上の大型トレーラーも3台積まれていたという。
 セウォル号のような旅客船は、いわば船体の上にビルを建造したようなものだ。
 そのため一般の貨物船に比べ船の重心が高かったはずで、しかも改造や過積載の影響で船全体がさらに不安定な状態となっていた可能性も高い。
 そのため船体が傾いたときにそれを元の状態に戻す復元力が大きく低下していたと考えられる。

 積載されていたコンテナやトラック、トレーラーなどの貨物をしっかりと固定していたかどうかも疑わしい。
 乗務員や乗客の証言によると、セウォル号は事故当時、急旋回した瞬間に貨物を固定する安全装置が外れたか、あるいはコンテナが船の一方に片寄ったものと考えられ、それによって船体が傾き始めたものとみられている。
 乗客の多くが「ドーン」という音を聞いたと証言しているが、この音もおそらく貨物が片寄ったときに互いにぶつかり合って出たものだろう。
 出港当時、セウォル号には100個以上のコンテナが3段か4段に積み上げられていた。
 これについても、ある乗務員は「鉄の鎖ではなく、通常のロープでずさんに固定されていた」と証言している。
 乗務員が乗客に「船室から出ず待機してください」と指示した理由も、船の構造や積み荷の固定の仕方に問題があり危険だったことを知っていたため、乗客が一方に押し寄せるのを防ごうとしていた可能性がある。

 セウォル号には46隻の救命ボートが設置されていた。
 これは、水圧を関知すれば自動的に膨らむ25人乗りのものだ。
 もし自動的に膨らまなければ、乗務員がピンを外して海に落とせば良いはずだった。
 ところがこれら救命ボートのうち、実際に膨らんだのはわずか1隻だけだった。
 これについて乗務員らは「船が大きく傾いていたため救命ボートに近づけなかった」と証言している。
 旅客船の乗務員は、救命ボートの取り扱いを含む非常時のための訓練を10日ごとに受けなければならない。
 これは法律でも定められている。
 もしこの法律を守って訓練さえ行っていれば、救命ボートの異常はあらかじめ把握できていたはずであり、またもし非常時に膨らまなかったとしても、何らかの対応ができたはずだった。

 先進各国では、旅客船に乗客が乗ると同時に、それぞれの船室で救命胴衣がある位置を確認させ、また甲板に来させて1時間ほどかけて非常事態に備えた教育を行う。
 非常時に船の中からどの経路を通れば外に出られるか、またどの救命ボートに乗るべきか、さらにボートの中にある煙幕や照明弾はどのように使うかなどがこの時に教えられるのだ。
 ところがセウォル号の船長と乗務員はこれらの指示を行うどころが、船が浸水し始めると「われ先に」と船から脱出した。
 船員法には
 「船長は乗客の全員が船から降りるまで船から離れてはならない。
 船舶が危険な状況となったときには、人命救助に必要な措置を尽くさなければならない」
と定められているが、これは法で定める以前の職業倫理の問題だ。
 セウォル号の船長も乗務員も、このような当然の倫理さえ守らなかったのだ。

 韓国国内には99の沿岸航路があり、173隻の旅客船が行き来している。
 そのうち5000トン以上の大型カーフェリーはセウォル号を含めて7隻ある。
 これらが果たして
★.違法な改造を施していないのか、
★.あるいは救命ボートは容易に使用できるようになっているのか、
★.乗務員に対してしっかりと教育が行われているのか
については、実のところ把握できていない。
 政府は全国の旅客船を対象に、直ちに緊急の安全点検を行わなければならない。

 基本的なルールや常識というものは、それぞれを細かく見れば実際は大それたことではないように感じられる。
 しかし基本というのは建物でいえば、全体を支える土台となる礎石のようなものだ。
 これが不安定になれば建物はいつか崩壊するだろう。
 われわれは大惨事が起こるたびに、よく「人災」という言葉を使って嘆く。
 これはつまり関係者が基本的なルールを守らないために起こったということだ。
 韓国社会には基本、規則、基礎、ルールを大切に考える人間に対し、何か世間知らずの堅物のように見下すような雰囲気がある。
 それどころか、ずる賢い手口を駆使できる人の方が有能な人間のように扱われる。
 今回のセウォル号沈没事故の根底には、基本を無視する韓国社会のこのような病弊があるのだ。



朝鮮日報 記事入力 : 2014/04/19 11:52
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/19/2014041900580.html

【社説】国民に不信感を抱かせる韓国政府の対応

 朴槿恵(パク・クンへ)大統領は17日午後、旅客船「セウォル号」沈没事故による行方不明者家族が集まる珍島室内体育館を訪問した。
 このとき現場にいた男性が朴大統領に「私たちは(政府から)だまされすぎた」と言いながら、携帯電話の番号が書かれたメモを手渡した。
 この男性は今も行方不明となっている檀園高校の女子生徒の父親(M氏)だった。
 M氏が事故当日に現場へ駆けつけたとき、娘の名前は政府が公表した救助者リストの中にあったという。
 ところがM氏は病院に娘がいなかったことから、ほかの家族が待機する珍島の彭木港や周辺の海岸、病院周辺の下水口まで娘を捜し回ったという。
 後に、娘は救助されていなかったことが分かったとき、M氏がどれだけがっかりしたか、われわれには想像もできない。
 海洋警察は17日未明に檀園高校の女子生徒Bさんの遺体を発見したと発表したが、その日の夜遅くになって「遺体の身元は不明」と訂正するなど、家族の心情を逆なでし続けている。
 18日には安全行政部(省に相当、以下同じ)が「救助隊員がセウォル号の食堂に入った」と発表したが、5時間後にはこの発表も訂正した。

 政府当局者は事故直後から右往左往するばかりだった。
 沈没直後には乗客のほとんどが救助されるものと甘く判断し、船内で積極的に救助活動を行おうとはしなかった。
 乗客の数も477人から始まり、その後459人→462人→475人と何度も訂正した。
 当初368人と発表された救助者の数は、2時間後には200人以上少ない164人へと減った。
 安全行政部は、救助者の数を集計する際のミスは海洋警察の責任と主張したが、これに海洋警察が反発したため、後に自分たちの計算ミスだと説明を変えた。

 300人近い乗客が船と共に海底に沈んでいる緊迫した状況で、
 2日以上にわたり救助隊が船内に入れない現実を目の当たりにしながら、
 世界のどの国が大韓民国を「世界最先端の携帯電話を製造し輸出する国」だと信じるだろうか。
 国民は政府当局が事故原因について明確な説明もできず、乗客の数や救助された人の数、またそれが誰なのかについてさえ把握できずおろおろする様子を見ながら、政府関係者の事故対応能力がいかに低レベルかをあらためて知った。
 国民の安全が最優先ということで「行政安全部」を「安全行政部」に変更した政府の現状が、まさにこのざまだ。

 しかも、行方不明者の家族たちは18日
 「政府の対応があまりにも情けなく怒りがこみ上げてくるので、国民の皆さんに(支援を)訴えたい」
という内容のメッセージを全国民に向けて発表した。
 家族たちは
 「17日に現場を訪問したが、(救助作業を行う)人員は200人もいなかった。
 ところが政府は555人が現場で救助活動に当たり、121機のヘリコプター、69隻の船を動員して子どもたちを救出する作業を行っている、とうそをついた」
と主張している。
 海洋警察は17日朝から数回にわたり「セウォル号の船内に空気を注入する準備が完了した」と発表したが、実際に作業が行われたのはそれから30時間近くたった18日午前10時50分だった。
 政府は誰よりも行方不明者の家族にまず救助作業の状況について説明すべきだが、家族たちは
 「誰1人として責任を持って語る人間はいなかった」
と訴えている。

 安全行政部の対策本部と海洋警察、海軍、海洋水産部も、それぞれ連携せず独自に動いている。大統領だけが孤軍奮闘しているかのような印象を国民に与えるだけで、誰が全体を指揮する司令塔なのかも明確でなく、大統領の分身として現場で迅速に決断を下す人間も見当たらない。
 潜水士たちは命懸けで海の中に潜っているが、政府関係者の多くは大統領の前でだけ作業に当たるふりをしているだけだ。

 国家であれ組織であれ個人であれ、本当の能力とは非常事態のときにこそ表れるものだ。
 今回のセウォル号沈没事故を通じ、国民が大韓民国政府とそこで働く公務員の能力について完全に不信感を抱いたことだけは間違いない。



朝鮮日報 記事入力 : 2014/04/19 12:15
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/19/2014041900589.html

【コラム】韓国社会にごまんといる「セウォル号の船長」

 ニューヨークのタクシーは運転が乱暴なことで有名だ。
 スピードを出し過ぎ、料金をごまかすこともある。
 だがバスは違う。
 客が乗り込むと、座席に座るまで待っている。
 体の不自由な客がいる場合には、発車まで十数分かかることすらある。
 運転手が降りて車椅子を持ち上げ、車内に固定して、安全を確認して発車するのだ。

 東京のバスも同じだ。
 車線を変更せず、スピードを出すことも、急ブレーキをかけることもない。
 そのため、歩いた方が早いといわれるほどスピードは遅い。
 だが気は楽だ。
 バスに乗った途端、急発進して転倒するのではないかという不安、座席に座っているとバスが停留所を通過し、降りられなくなるのではないかという不安もないからだ。

 バスがタクシーと違う点は、多くの人を乗せるということだ。
 多くの乗客の安全に責任を持つため、守るべき義務も異なる。
 ニューヨークや東京のバスは、運行に際して細かいマニュアルが定められている。
 これを守らなければ運転手は解雇される。
 実際のところ、座席に座る前にバスが発車したからといって、客が転倒するようなケースはまれだ。
 車椅子を固定していないからといって、ひっくり返るというケースもめったにない。
 それでもマニュアルを守るのは、最悪の事態を常に念頭に置いているためだ。

 日本の旅客船会社「マルエーフェリー」は、今回の事故を起こした「セウォル号」を日本で18年間運航していた。
 その間、事故を起こしたことは一度もなかった。
 この会社の海難事故対策マニュアルを見ると、人命の安全を確保することや、事態を楽観視せず、常に最悪の状況を念頭に置いて措置を講じることなどが、最も重要な項目として挙げられている。
 「船長の判断を尊重する」という項目もある。
 もちろん、上記の2項目をきちんと認識した船長を指すものだ。
 今回の事故について、海外の専門家たちは「常に最悪の状況を考える」というマニュアルを無視した船長が、早い段階で楽観視していたことが悲劇を招いた、と指摘している。
 そのために「船内で待機するように」という指示を出し、その指示に従った純粋な高校生たちを死に追いやったのだ。

 世界銀行が韓国を「開発途上国」リストから除外したのは1997年のことだ。
 1人当たり国民所得が1万ドル(現在のレートで約100万円)を超え、「先進国クラブ」と呼ばれる経済協力開発機構(OECD)に加盟したことが反映されたのだ。
 この年には厳しい経済危機に見舞われたが、結果的に危機が刺激となり、韓国は先進国に分類されることになった。
 そのスピードはあまりにも速かった。
 未熟な人々は「成功神話」によってつらい過去を忘れた。
 崩落事故で数十人が犠牲になった聖水大橋や、倒壊事故で数百人の犠牲者を出した三豊百貨店の跡地に造られた新たな建造物を見ているうちに、教訓を忘れてしまった。
 セウォル号の船長は、20年前の聖水大橋の管理者や、三豊百貨店の経営者と何ら変わらない。
 そして今、韓国社会の安全に責任を持つべき地位に、セウォル号の船長のような人物がいくらでもいる。

 下心を持つことなく、乗客のために命をささげる英雄のような船長を望んでいるのではない。
 王も大統領も、国民を見捨てて逃亡した過去があることを知っているだけに、
 「船長よ、あなただけは乗客と運命を共にせよ」と強要するのも恥知らずなことだ。
 命を捨てろとまでは言わない。
 ただ、自ら与えられた地位に責任を持ち、規則を守ってほしいということだ。
 船が沈みそうになったら、マニュアル通りに行動し、中にいる子どもたちを避難させてほしいということだ。

 国連のコフィー・アナン前事務総長は「先進国」についてこう定義している。
 「全ての国民が安全な環境の下、自由で健康な生活を送れる国」。
 この点で韓国は依然、途上国のままだ。


 「「船長よ、あなただけは乗客と運命を共にせよ」
と強要するのも恥知らずなことだ
と言われても、日本なら
 「恥を知るなら、あなただけは乗客と運命をともにせよ」
と言うのではないだろうか。
 もちろん、それは声に出しては言えない。
 だが船長に期待する言葉として、そして船長の役割として
 「恥を知るなら、あなただけは乗客と運命をともにせよ」
と心に思い、
 船長自身はそう思うことを名誉とする
のではないだろうか。
 そうあってはじめて民族思想になりえる。
 実際の場面ではどうなるかはケースバイケースであろうが、そういう思考が基本にあってはじめて「船長」なのではないであろうか。
 それをはじめから
「船長よ、あなただけは乗客と運命を共にせよ」
と強要するのも恥知らずなことだ
と切って捨てるなら、メデイア自体が恥知らずだということになる。
 すべの韓国人がセウォル号の船長と同類となる。
 つまりメデイアのあなたも韓国社会にごまんといる「セウォル号の船長」だということである。





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