2014年3月30日日曜日

韓国ほど「歴史の清算」に執拗な国はない:歴史論争がアジアの安全保障を揺るがすなら、今度は韓国が批判を浴びる

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朝鮮日報 記事入力 : 2014/03/29 11:57
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/29/2014032900806.html

【コラム】韓国ほど「歴史の清算」に執拗な国はない

 世界に目を向けると、不思議なことがある。
 植民地としての歴史の清算を、韓国ほど執拗(しつよう)に主張する国が見当たらないという点だ。
 それどころか、英国の旧植民地だった国々は、独立した後も自発的に「英連邦」に残っている。
 英国が旧植民地に対し寛大だったわけではなく、独立後に大掛かりな支援をしたわけでもない。
 それでも英連邦の枠組みの中に残っているところを見ると「これでは腰抜け国家じゃないか」と思うこともある。

 実際のところ、これらの国々は「戦後秩序」の下で安住していたにすぎない。
 第2次大戦後の歴史の清算とは、戦勝国が敗戦国の指導者に審判を下したものだった。
 植民地で行われた帝国主義者の悪行は、審判の対象にはならなかった。
 戦勝国が帝国主義の国だったため、自分で自分の首を絞めるようなことがあるはずがなかった。
 1951年、米国などが日本と締結した講和条約は、戦後秩序の本質を表している。
 条約が定義する賠償請求権は戦勝国だけのもので、植民地だった国には付与されなかった。
 韓国の賠償請求に対し日本が鼻であしらうのもそのためだ。
 「不満があるなら米国に言え」というわけだ。

 しかし、そのせいだけではないだろう。
 日本の侵略を受けたフィリピンやベトナム、ミャンマー、インドネシアは、賠償金を受け取った後、相次いで過去を不問にした。
 植民地支配を受けた台湾で総統を務めたある人物は、親日的な信念を持ち続け、靖国神社にまで参拝した。

 韓国のすごいところは、植民地時代を徹底的に清算しながらも、得るものを得たという点だ。
 「経済協力資金」という不愉快な名称だったが、日本から得た有償・無償合わせて5億ドルの金は、日本によって廃虚になった交戦国が得た賠償金と同程度だった。
 当時、経済企画院が家計簿を書くように作成した「請求権資金白書」を見ると、涙が出てくる。
 浦項製鉄所(現・ポスコ)を建設した後、残ったはした金同然の金は、貧しい工業高校生の教育を支援するため、実験器具の輸入に充てたのだ。
 ひとえに祖国の将来のために投資したというわけだ。
 当時、技術を磨いた坊主頭の生徒たちが、後に産業面で日本を追い越す立役者になったのだから、その投資は決して無駄にはならなかったというわけだ。

 一方、世界に目を向けると、韓国ほど植民地支配を十分に清算した国もない。
 国際社会で韓国が認められたのはそのためだ。
 だが一方で、そのために批判されてきたという事実も受け入れなければならない。
 過去を克服できたにもかかわらず、なぜ今に至るまで「謝罪せよ」「賠償せよ」と主張するのかということだ。も
 ちろん、日本が朝令暮改的な姿勢で歴史をもてあそんでいるためだ、という韓国の反論は妥当なものだ。

 われわれは、日本の安倍政権に対する韓国の批判と、慰安婦問題が世界に知られていく様子を見た米国が「過去の清算」についての主張を理解するようになった、と考えることができる。
 だが、米国が安倍政権を批判するのは、日本の右傾化が北東アジアの安全保障に脅威を与えるという韓国の主張を理解したからだ。
 慰安婦問題に対し同調しているのもまた、慰安婦問題が普遍的な人権問題だという主張を受け入れたためだ。
 「植民地時代の清算」という韓国の視点を前面に出さなかったため、韓国は戦いに勝つことができた。

 そしてこれは、逆のケースが起こり得ることも示唆している。
 歴史をめぐる論争が、北東アジアの安全保障を揺るがすレベルにまで達すれば、今度は韓国が批判を浴びかねないという点だ。
 歴史が「動力」から「重荷」へと変貌するというわけだ。
 そのボーダーラインはどこにあるだろうか。
 日本は米国が作り上げた北東アジアの安全保障体制の柱だ。
 日本が憎いといって、米国の作った秩序からも離れようとすれば、その瞬間、韓国は北東アジアの安全保障体制における「弱い連携」になり下がってしまう。
 歴史を前面に出した中国の歓待や、それに対する韓国の感情的な連帯意識は、国際社会にどのようなシグナルを送っているのか、省察する必要がある。

 誰が何と言っても、韓国は「賠償せよ」「謝罪せよ」といって戦っていくことだろう。
 だが、その戦いの限界についてもはっきりと線引きすべきだ。
 汚いことでも飲み込み、悪魔ともキスするという「戦略的な自己催眠」は、統一の段階で必ず身に付けなければならない国民的な課題だといえる。



朝鮮日報 記事入力 : 2014/04/06 09:19
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/06/2014040600295.html

【コラム】韓国人の「安倍たたき」

 日本の安倍晋三首相が、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領に韓国語であいさつしたとき、特に感動することもなかった。
 安倍首相は今年2月「(慰安婦の強制動員を認めた)河野談話を検証する」と述べた。
 日本が少女たちを慰安婦として連行した際に「(軍や官憲が力づくで無理やり連行する)狭義の強制性はなかった」と理屈をこねた。
 しかし、ムードが険悪になるや、安倍首相は「河野談話を見直す考えはない」と1歩引いた。
 しかし、今月1日には「(河野談話の)検証は予定通り行う」と述べた。

 このようなことを見聞きすると、韓国人は頭に血が上る。
 安倍首相が黙っているときには、安倍首相が起用した閣僚たちが問題発言をする。
 韓国側の怒りが収まっても、燃料タンクに次々と燃料を入れているようなものだ。

 韓国人たちはそのたびに、政治理念や党派、地域に関係なく、一斉に日本を非難する。
 日本人たちの手紙の文章を集めた『ときどき寂しがるお父さんへ』という本には「残った借金が、残された家族みんなの団結につながっている」という文言が登場するが、
 韓国人たちも、安倍首相を非難することで団結しているのではないだろうか。

 問題は、いくら怒りをあらわにしたところで、なぜか空しく感じられるという点だ。
 その感覚は、何かが抜けているという思いにつながる。
 韓国人はただ怒るだけで自省しようとしない。

 本間九介という日本の大陸浪人が、1893-94年の東学革命(甲午農民戦争)前後に朝鮮半島を偵察し『朝鮮雑記』という本を書いた。
 日本の斥候兵(本隊の移動に先駆けてその前衛に配置され、進行方面の状況を偵察しつつ敵を警戒する兵)だった本間は、英国の歴史家エドワード・ギボンの本を愛読していた。
 その本間が簡潔な文体でつづった『朝鮮雑記』を読むと、
 賢い悪党によって、よく切れるメスで麻酔もせず手術されるかのような感覚
を覚える。

 本間の主張はさておいて、彼が記録した事実だけを見ていくことにしよう。
 朝鮮は弱く、廃れていた。
 「世界が銃や大砲で武装していたとき、朝鮮の軍隊は刀や槍、弓矢で武装していた。
 しかも、刀や槍は形式的に持っていたにすぎず、普段から稽古に励む武人は極めて少なかった。
 弓矢の達人は多かったが、弓矢を使った博打がはやっていたからであり、国防や治安維持に役立てようとはしなかった」
 「飲み屋で紙幣を取り出すと、朝鮮の人々は「これが本当にお金なのか」
と驚く。
 彼らはいつも重たい銅貨を持ち歩いていた。
 ある人は15クァンムン(当時の通貨)以上持ち歩くことができず、盗賊に出くわしても盗まれることはなかった。
 仁川市が編集した資料集によると、1クァンムンは31銭に相当し、15クァンムンは港で働く朝鮮人の運び屋の9-10日の報酬だった。

 本間がこの本を書いてからほどなくして、朝鮮人たちは日本に国を奪われた。
 慰安婦の少女たちが連れていかれたのは、日本の支配下で苦労し、次の世代になってからのことだ。

 韓国人たちが安倍首相に対し怒りをあらわにするのは正しいことであり、当然だ。
 だが、それが全てになっては困る。
 日本に対し怒りをあらわにすると同時に「われわれはあのとき、なぜ自ら国を守れなかったのか」と振り返るべきだ。
 朝鮮人たちが日本の侵略に備えて城を築いたのを見て、本間は哀れんだという。
 「本当に気の毒だ。こんな城は野戦砲1発で簡単に壊せることを知らないのか」。
 韓国人たちはこのような事実についてほとんど反省していない。
 ただ、安倍首相を非難するだけだ。
 それはとても簡単なことだ。






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