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朝鮮日報 記事入力 : 2014/02/23 08:50
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【コラム】監獄のような韓国の教育の現実
ルイ・ヴィトンは、14歳のときに故郷から400キロ離れたパリに上京した。
見通しは何もなく、途中で日雇いの仕事をして食費を稼ぎ、パリに到着するまで1年もかかった。
かばん店を探して富裕層向けに旅行用のかばんを作る仕事をこなし、糊口(ここう)をしのいだ。
やがて、ヴィトンのかばん作りがうまいといううわさが広まると、突然ナポレオン3世の皇室で荷造りを担当する役に登用された。
後に、当時としては画期的な、ふたの部分が平らなトランクを作り、これが大ヒットして巨大なファッション王国を構築した。
ルイ・ヴィトンをブランド業界の先駆者にしたものは、チャレンジ精神と情熱、そしてクリエーティビティーだった。
年齢的にはルイ・ヴィトンのひ孫くらいに当たるサルバトーレ・フェラガモは、9歳のとき、姉のために革靴を作った。
姉がみすぼらしい木靴を履いて教会に行き、笑いものになるのを見て、靴の修理屋で革の切れ端を手に入れ、立派な革靴を作ったのだ。
昼は靴を作り、夜は足に関する人体工学を研究するという「昼耕夜読」で、フェラガモはブランド王国をつくった。
「パリのモード界の教皇」と呼ばれたクリストバル・バレンシアガや、マドンナの「コーンブラ」をデザインしたことで有名なジャン・ポール・ゴルチエも、正規の教育をきちんと受けたことはなかったが、情熱と独創性で世界的な人物になった。
こうした現象は、外国のファッション業界に限ったことではない。
現代グループの創業者、故・鄭周永(チョン・ジュヨン)会長は、学歴といえば漢文を教える書堂と小学校を出たにすぎないが、終わりなきチャレンジ精神で大企業を作り上げた。
韓国遠洋漁業の先駆者、東遠グループの金在哲(キム・ジェチョル)会長は、ソウル大学の奨学生に選ばれたにもかかわらず、水産業に心酔し釜山水産大学を選んだ。
これらの人々は貧しかったが、挑戦と夢があった。
今の韓国の教育は、チャレンジ精神やクリエーティビティーを殺す教育だ。
学校と塾へ必死に通い、ようやく大学に受かったと思ったら、今度は就職受験生になる。
韓国の大学進学率(71.3%)はスイスやドイツの2倍だ。
高卒では就職がほとんど不可能なのに加え「高卒者」というあざけりの声を聞くのが怖くて、やっきになって大学のドアをたたくのだ。
少し前、サムスンは各大学に推薦枠を割り当てたが、世論から袋だたきにされて計画を撤回した。
大学のランクによって推薦枠の人数に差をつけたという事実が発覚すれば、平等意識が過剰な韓国では非難の対象になりかねない。
この部分を見過ごしていた点は非難されて当然だ。
しかしサムスンは、やり方を変えてでもこの計画と趣旨を追求し続け、大学の序列や地域の壁を越えて企業の発展に必要な実力ある人材を積極的に採用し、優秀な高卒者についても思い切った選抜をすべきだ。
サムスンは、韓国の大企業の中では地方大学出身の役員が最も多い。
これらの役員が現在のサムスンをつくるのに寄与したことで、地方大学出身の優秀な人材の競争力は立証された。
光復(日本の植民地支配からの解放)後、大学入学制度は数十回に渡って変更された。
それにもかかわらず、学生たちが依然として入試という監獄に閉じ込められているということは、制度の改変で教育問題を解決することはできない、ということを意味している。
この悪循環の輪を、企業の側が断つことはできないだろうか。
名門大学を出た失業者の前で、就職を果たした「地雑大(地方大学の蔑称)」出身者が、あるいは大卒失業者の前で、就職を果たした高卒者が胸を張れる社会になれば、監獄のような韓国教育の現実にもヒビが入るのではないだろうか。
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